とぉせんぼぉ

〈陶仙の陶作に挑む気持ちと作品〉

無欲な気持ちで淡々と作ったもの・・・落ち着いた作品
自分が自分に腹が立ちやけ気味で作ったもの・・・大胆な作品
嬉しい気分で演歌の鼻歌で作ったもの・・・器量の良い作品
一日中ただ懸命に作ったもの・・・粒揃いの作品
創意工夫に苦しんで作ったもの・・・独創的な作品
陶作中奇跡が閃いて作ったもの・・・画期的な作品

俳句を作るにはその時の気分で出来たり出来なかったりするが、
陶芸の場合はその時の気分でどことなく作品が違ってくる。
それが陶芸の楽しみであり、苦しみであり、醍醐味でもある。
それは陶芸を始めたときから35年経った今でも同じである。

〈志すことは楽しみ〉

何かを志す人は、好きで長続きしなければいけません
努力して長続きをすれば自然に上達します
上達してくると自信がつくし、周りにも認められます
そうなることで毎日が楽しくなります

私は陶芸家であり俳句作家でもあります。
どちらにしても趣味から始まって、長く続けたことで成ったのです。
陶芸や俳句のみならず、何かを志している人、何かに打ち込んでいる人、又その「何か」を探し悩んでいる人、それらについて語り合いませんか。
それによって貴方の人生も変わり、世の中が楽しくなると思いますし、私自身にとっても大いにプラスになります。
陶芸や俳句を通じて今後の人生を語り合うことを楽しみに待っております。

陶芸入門の心

備前焼を造るのは難しいものだ、何が難しいかと言えば次の様なものだ。

(1)何としてもロクロで中心をとることだ。初心者としては至難の業だが、難しいことだ
といってやらなくてはいつまでも上達しない。なにはともあれやるしかない。

(2)中心がでるようになると底面積の大きさと底の厚みを決めて上に伸ばす。なかなか
伸びるものではない。初心者はあまり高いものを造らず、せいぜい20cm程のものを造るのが適当だと思う。そしてだんだんと薄く作るように努力すべきです。その繰り返しで
上達する筈です。昔の教えですが「艱難汝を玉にする」とか、「精神一到何事かならざらん」
私はそのよな言葉で育ちました。

(3)ロクロにしても手作りにしても造る心は常に根性が必要です。つまり一所懸命に飽かずに続けることです。続けるということはこれも一つの能力だと思います

(4)一所懸命にやっているうちにいろいろ悟りが開けてきますし、そのようになるとしめたものです。だんだんとプロに近寄っている筈です。何度も悟りが開けているうちにプロの世界に足を踏み入れて行きます。

(5)上記の様に文章に書けば簡単ですが、それには或る程度の年月と根性が必要になってきます。新たに陶芸をやりたい人は,私の記述した文章を参考にして取り組んでくだされば良いと思います。無駄な努力しても馬鹿らしいのでやりたい人は,一度我が家にお出かけ下さい。御話しさせて頂きます。
お問い合わせTEL0869-63-2685