備前焼

備前焼は木の廊下

「幼少の記憶を辿って」

「帰りました」と云ってランドセルを背負ったまま母の働いている窯元の職場に行く。私の父は会社員、母は窯元で作品を作っていたため我が家には鍵がかけられ、
私の低学年は全く鍵っ子でした。  
職場の風景は男が七人と女が五人程働いていたように思います。
毎日のパターンは学校で習った唱を歌ったり、
何でも解らぬことは職人に訊いていたように思います。
一番楽しかったことは職人全部お金を出し合ってするアミダくじでした。
それはお菓子が沢山食べられるからで、 お菓子を買いに行く役目の私は自分の好きなものばかり買ってきて食べていた記憶があります。
街の風景は砂と石と水溜りの国道で、雨が降れば泥を跳ね、
天気が続けば土埃が立ち、雛壇には白く埃をかぶった備前焼が並べられていました。  冬の職場はダルマストーブに石炭をくべ真っ赤になっていました。
夏は窓という窓は開け放しているため粘土に濡れ雑巾をかぶせて、よく揉んでいたのを思い出します。  
私の母は今では女流作家と云われていますが、その頃はデコ師と云われていた。
ロクロ物以外の物は原型師と型抜きとに分かれ、陶土から直接に形を作る者が原型師、出来た物を石膏にとりその石膏型で抜くのが型物師と云っていました。
私の母はその両方が出来るので、知る人ぞ知るという言葉どうりの小さな範囲の名工であったように聞いていました。  
その作品の数点が我が家にあります。  

次回は備前焼に係わる戯歌や言い伝えなど書いてみたいと思います。
「備前焼は生涯の伴侶」

「発祥〜現代」

備前焼と伊部焼とはどう違うのと質問がありますが、それは全く一緒です。
備前市伊部から生まれたもので、伊部町が他の町と合併して備前市になり、備前焼と云われだした次第です。
須恵器から変化して生まれたとの説がありますが、
私は伊部独立説を支持しております。

備前伊部を中心として西に約10km行くと長船と云う刀を作っている所があり、
そこの土は非常に鉄分が多く耐火度(火に対する力)が弱く、
又東に10km程行くと三石という耐火煉瓦の原料が採れる所があり、
そこの土は耐火度が強いのです。
その長船・三石の中間にある備前伊部の土は耐火煉瓦のような強さと、
低い溶融物がとろっと溶け出す弱さが同居して焼き物に適し、この陶土や山土を古代の人が偶然に発見したのが始まりだと思います。俗にヒヨセ粘土と呼ばれています。
奈良時代、平安時代には全国2000以上の窯があったが、伊部では朝鮮新羅陶の影響を受け赤い須恵器を発見し、
次第に酸化焼成に変わり今のような赤い備前焼らしき物が造り出されてきました。  
他所の焼き物は殆ど釉薬を用いていますが、原始時代には地下窯を用い須恵器様の物が造られていたが、窯の形も次第に浮き窯になり空気を入れながら酸化炎で焼成されるようになった備前焼は、焼締めとしては世界唯一の古い焼き物と云うことです。  そして鎌倉時代には熊山(備前香々登)の渓流に生まれました。
室町時代にはふもとに下り大衆品の擂鉢や甕を多く焼くことになりました。
それから山麓窯は次第に姿を消し共同窯として伊部の南、北、西に三大大窯が出来上がり、天正年間には更に大きく発展して、豊臣秀吉や千利休等に愛用され備前の名前は大きく広く世の中に広まって行きました。
備前焼の優劣を知るには先ず古備前の味を知ることで、その伝統が生かされた物が名作とされています。
窯の中からぞくぞくと名品ばかり窯出しされるものではありません。
皆様には何点かの名作を観て貰いたいと思います。   

そこで一句       

「あれこれ窯出し 獣のような眼も据える」        

天下人の秀吉や著名人の利休に愛用され、朝廷にまでも多く献上された陶工も備前に多く集まり、
とくに天正年間(1573年〜1592年)には数多くの名品を世に出した。  
江戸時代に移ると細工人には扶持米(給料の米)を与えて保護され、大いに優遇され、朝廷や将軍への献上等で備前池田藩は潤いを増し、伊部の村は大いに盛り上がった。
ところが江戸末期の天保時代(1830年〜1844年)には藩の保護も薄れ最後は見離されるようになり、家内工業的なものとなった。  
明治から大正に、大正から昭和初期になると土木関係に使用する土管が作り出された。
煉瓦会社では耐圧強度が強く、比重は重く、気孔率が密の耐酸煉瓦が造り出され、化学会社に多く供給された。
それは備前原土の優秀性がフルに発揮された所以であると共に、限りある資源を大いに減らしたことにもなります。  
松割木の加熱で昔は自然の美を招いていましたが、今では加熱の後木炭を使った桟切焼・ヒダスキ焼・青焼など人工による工夫と苦心が観光客を賑わせています。
しかし私個人的には昔の自然のものが好きであり、私のやり方をほめて下さる信者(ファン)も多くあり、
今は亡き古備前研究家の桂又三郎先生も本格的な作家だとほめて下さったのが未だに嬉しく思っております。  
或る意味で云うと備前は無茶な焼き物で、釉薬も使わずに絵付けも無く10昼夜以上も裸のまま焼いて、人工の美よりも火の神が撫でただけで素朴さと男性美、それに高雅な味を出し茶人が愛する「ワビ」「サビ」の味は全く自然の、神がかりの業としか思えません。
だからこそ備前の通は自然美を愛するのである。
一窯の中からどうしても自然美と人工美が同居します、来客の方にはその自然美と人工美との区別を実物を交えてお話ししております。遠慮無く御来訪下さいませ。   
お問い合わせTEL0869-63-2685